荻野吟子と634の不思議
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作成日時 : 2017/04/04 05:28
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すみだが大好きです ❤
荻野吟子をご存知ですか? ご存じでない方のためにお話しすると、この方は湯島に産婦人科医院を開設した日本で最初の女医です。晩年はスカイツリーのすぐそばの本所で診療を行いました。武蔵国(現在の埼玉)生まれの人です(1851-1913)。
荻野吟子は16歳の時に足利銀行頭取の息子と結婚していますが、夫から淋病をうつされ、すぐに離婚しています。この「恥ずかしい」病気を男性医師のもとにさらさなければならなかった屈辱から、医師の資格をとって、同様の立場に追い込まれた女性患者を助けようと決意します。
東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)を卒業したのち、私立医学校・好寿院に学び、1885年、医師免許試験に女医第一号として合格し、荻野病院を開設します。その後、キリスト教婦人矯風会に参加し、1890年、志方之善牧師と再婚し、1894年には北海道に渡り診療活動を開始します。夫の死後、吟子は東京に戻り、1908年に病院を再開します。
なんといっても興味深いのは、昔はムサシと呼ばれていた埼玉の武蔵国生まれの吟子と634メートルの高さを持つスカイツリーを持つ墨田区との関係です。私は、次の634サミットのテーマとして荻野吟子の活躍を紹介したいと思います。
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